橋幸夫橋幸夫

1943年5月3日、東京府東京市荒川区にて、呉服屋を営む家庭の9人兄弟の末っ子として生まれる。「橋」という珍しい姓は、先祖が代々滋賀県で神主を務めていたことに由来するという。

学生時代はやんちゃな性格で、ボクシングに熱中。プロテストを勧められるほどの腕前だったが、心配した母親が遠藤実の歌謡教室に通わせたことが、歌の世界に入るきっかけとなった。

のちにビクター専属作曲家・吉田正の弟子となり、1960年7月5日、「潮来笠」で日本ビクター(現・JVCケンウッド)の音楽レーベル・ビクターレコード(現:ビクターエンタテインメント〈二代目〉)からデビュー。同曲で第2回日本レコード大賞新人賞を受賞し、『第11回NHK紅白歌合戦』にも初出場を果たす。

『紅白歌合戦』には第11回から1976年の第27回まで17回連続出場、通算19回の出場を記録。「潮来笠」以降も、佐伯孝夫作詞・吉田正作曲による「沓掛時次郎」「中山七里」「佐久の鯉太郎」など、多くの“股旅もの”歌謡曲を発表。後にデビューした舟木一夫、西郷輝彦とともに「御三家」として、アイドル的な人気を博した。

1943年5月3日、東京府東京市荒川区にて、呉服屋を営む家庭の9人兄弟の末っ子として生まれる。
「橋」という珍しい姓は、先祖が代々滋賀県で神主を務めていたことに由来するという。

学生時代はやんちゃな性格で、ボクシングに熱中。プロテストを勧められるほどの腕前だったが、心配した母親が遠藤実の歌謡教室に通わせたことが、歌の世界に入るきっかけとなった。

のちにビクター専属作曲家・吉田正の弟子となり、1960年7月5日、「潮来笠」で日本ビクター(現・JVCケンウッド)の音楽レーベル・ビクターレコード(現:ビクターエンタテインメント〈二代目〉)からデビュー。同曲で第2回日本レコード大賞新人賞を受賞し、『第11回NHK紅白歌合戦』にも初出場を果たす。

『紅白歌合戦』には第11回から1976年の第27回まで17回連続出場、通算19回の出場を記録。「潮来笠」以降も、佐伯孝夫作詞・吉田正作曲による「沓掛時次郎」「中山七里」「佐久の鯉太郎」など、多くの“股旅もの”歌謡曲を発表。後にデビューした舟木一夫、西郷輝彦とともに「御三家」として、アイドル的な人気を博した。

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